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昭和51年10月18日神輿同好会吉祥寺 武蔵 結成
(
武蔵野八幡宮 神輿保存会 吉祥寺 「武蔵」 オフィシャル)
かって吉祥寺で神輿が出るのは、5月に行なわ
れる五日市通りの八枝神社(お獅子様)の祭礼
でした。
昭和8年頃、停車場組(現在の消防団第3分団)を中心に神輿を作ろうと言う機運が盛り上り毎晩会合が持たれました(集会場所の小美濃京染店の畳が擦り切れた)。かけそばが1杯八銭の頃に1口10円の寄付を募ったところ、地元の商店から十分な額?が集まり、浅草までトラックで
買い出しにいき、神輿屋(岡田屋?)にて購入、
子供神輿がおまけに付いてきたそうです。帰りに
は某所に寄り祝宴を上げ御寄付頂いた方には
各々酒一升を、御礼として配ったそうです。
戦後は昭和23年頃に再び担ぎ出されましたが、殺伐とした世相の中で、やくざと戦勝国の人達との諄いにまきこまれ神輿運行が地元
の人達の手を離れ、死人が出たり、店舗を壊したりしたため、祭りを中止させられました。
昭和28年頃に当時の青年部の手で、再度担ぎ出されましたが、2〜3年で飽きられてしまいました。その後街の開発に伴って、神輿の
保管場所にしていた倉庫が無くなり、武蔵野八幡宮に少しの間置いていただくつもりが10数年間も放置することとなりました。
昭和48年各商店街が子供神輿や、レンタル神輿を出して祭りを再興すると、若手の中から自前の大人神輿が欲しいという思いが強く
なり、八幡宮に放置してある神輿に気が付き、旧停車場組のOBの方達の御承諾を得て神輿の修復をしましたが、今までの経緯を知る
につけ、祭りを続けていく為こぱ、神輿を保存する会と、保管場所の大事さを感じました。
また [武蔵] 設立の数年前からは、下火になっていた祭りが各地で見直され始め、担ぎ方やかけ声が、浅草三社から始まったと言われ
る、ソリャ、ソリャに変り一般の若者の支持を集め、東京中の祭りが変って行った時期でした。
以前から神輿を担くのを趣味として各地の祭りに参加する同好会がありましたが、地元の神輿に対しては助っ人の立場から、礼儀正しく
地元の担ぎ手を立てていました。しかし祭りlが盛んになるにつれ、どこの街でも担ぎ手が不足し、食事、手当つきで募集するようになると、
無責任で無遠慮な新興の会が増え初め、我が物顔に振舞い、会同士で神輿の棒の取合いや、街を巡って蝿張争いのような事が起こる
ようになっていました。
有名な都内の祭りも、担いで楽しい場所はごく一部で、大半が広い道路と、祭り当日は人気の無い事務所街です。吉祥寺は商店が
密集し、アーケードがあり、人があふれ、街が適唆な広さで神輿を担ぐ者にとっては格好の場所です。また吉祥寺は祭りが再興したばかり
で、祭りの慣習等が定まっていないため、新興の同好会等の格好の標的となっていました。
そこで無責任な同好会から吉祥寺の祭りを守り、商店街を超えて若者の結束を堅め、親睦を計り、後世に祭りや神輿を伝えて行くこと
を目的として、昭和51年10月18日神輿同好会吉祥寺 武蔵 結成しました。
昭和8年
停車場組(武蔵野市消防団第3分団の前身)が、地元商店から一口
10円の寄付を募り浅草にて神輿購入、子供神輿がおまけに付いてきた
昭和15年[紀元2600年]
消防団の詰め所から旧市役所まで巡行し大変賑わった。
昭和23年頃〜
戦後復活したが、神輿の運行をやくざ等に牛耳られたり、神輿を店舗
に突っ込み壊したため中止となる。
昭和28年〜
地元の青年会が中心になって担ぎ出したが、1〜2年で中止となる。
昭和35年頃
神輿は八幡宮に預けたままになる。
昭和48年9月15日
武蔵野八幡宮例大祭に、サンロード、平和通り連合で神輿を出し、第一回吉祥寺北口連
合秋祭りの始まりとなる。
昭和49年9月15日
第2回北口連合秋まつりにダイヤ街が稲荷町の神輿を借り参加。
昭和50年9月15日
第3回秋祭りには各町会が趣向を凝らして参加、当時サンロードは子供神輿、ダイヤ街、平和通りはレンタル神輿を担ぎ自前の大人神輿が念願であった。
昭和51年8月3日
旧停車場組のOBの方々に、神輿を若手有志に委ねる旨御承諾を得
て、有志に奉納金を募り、武蔵野八幡宮より神輿を引き取る。第3分団のご厚意で詰め所に置かせて頂き、修復可能かどうか分解調査する
。子供神輿は破損がひどく、八幡宮にてお焚き上げしていただく。
昭和51年9月
秋まつり実行委員会の鉢洗いの席上で、カシュウ漆で補修した鳥居と
欄干を披露し、修復についての同意と協力をお願いする
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 各町会の御神輿をご案内します(詳細は順次更新) |
サンロード商店会
サンロード商店街では多額の浄財の寄贈を 受け、平成2年に吉祥寺のメインストリートを象 徴するにふさわしい勇姿と風格を誇る唐破風 型白木造り(からはふがたしらきづく)りのサンロー ド神輿の完成となりました。 吉祥寺まつりに参加する数ある神輿の中で 唯一の子供神輿を擁する親神輿です。 例年、親神輿・子供神輿が打ち揃い吉祥寺 のお祭りを盛り上げています。
・サンロード子供神輿
戦後、「祭りどころではない」と言う厳しい経済 環境の中でせめて子供達には…というふるさとの親心が実り、昭和27年に地元の有志が 浄財を集め、やっと買い求めたのがこの子供神輿です。以来、武蔵野八幡宮の秋の例大 祭が来ると、この子供神輿は吉祥寺の商店街の一角で子供達にふるさとの思い出と夢を 与えて参りました。 今、ようやく先輩達の努力が実り神輿を担ぐ ちびっ子も年々増え、整理をするのに大わら わです。そして第一回の秋まつり以来、毎回神輿パレードの先達を務め、この祭りには無くてはならない風物詩となっております。
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平和通り商店会
昭和59年、商店会の発展と会員の融和・親 睦のシンボルとして群馬 上州神輿に製作を依 頼し完成しました。 町会神輿の大型化のはしりとしていちはやく 吉祥寺秋まつりにデビューいたしました。数ある神輿の中でも一番重いと評判で500 キロの重量を丸太の担ぎ棒で平和通りと駅前 商連の若い衆が、「あかるく、たのしく、かっこよく 」担ぎ上げます。
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ダイヤ街商店会
ダイヤ街では昭和62年ご覧の三社型(さんじ ゃがた)の神輿を製作、以来毎年秋まつりになり ますと担ぎだしております。 この神輿はダイヤ街組合員の団結の元に多額 の浄財の寄贈を受けまして完成いたしました。 特徴は、屋根の下から大きくせり上がる蕨手 (わらびて)と膨らみを抑えた屋根の形でございま す。堂周りの彫刻に極彩色(ごくさいしき)を施 (ほどこ)し、各部を金と黒の配色で統一し、二 重台輪(にじゅうだいわ)で作られ、一段と重厚さ が加わっております。 製作に当たっては浅草、宮本卯之助(うのすけ)商店、宮本重義(しげよし)氏に特別に仕 上げていただきました。
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祥南会
井の頭公園をバックにひかえた吉祥寺南口商 店街とパークロード商店街の二つの商店街の 行事を、若さと情熱で取り仕切る「祥南会」の 方々による「祥南神輿」です。
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元町通り商店街
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吉祥寺北口駅前祭礼
道幅の狭いハーモニカ横丁には、お神輿は通 る事が出来ません。 毎年、秋祭りから取り残された様な寂しい感 じがありましたが、昨年から町会の有志が集ま り地元の子供達による手作りの子供神輿を始めました。 子供達が。折り紙や千代紙を一生懸命に貼って完成させた子供神輿です。
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吉祥寺南町祭礼委員会
整然とした江戸前の担ぎ方と、「どっこい」とい う、歌あり踊りありの、変化に富んだ担ぎ方を 交互に入れてあります。顔なじみの200名の 担ぎ手ならではの、息の合ったパフォーマンスを お楽しみください。 この「吉南神輿」は、昭和55年に小平市の 宮大工 安藤 明氏が、私たち南町のために、 特別の情熱を注いで製作されたものです。 半年掛りの大修復により生まれ変わって9年 目になります。 私たち吉祥寺南町祭礼委員会は、南町にある「吉祥寺末広協栄商店会」と、地元有 志の集まりである「吉南」の二つの団体によって運営されています。
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大正祭礼委員会
大正祭礼委員会の神輿をご紹介します。 今をさかのぼる事23年前、神輿好きの有志が 集まって吉祥寺秋まつりに『大正会(たいしょうか い)』が生まれました。 そして7年前より、大正通り商店会 と共に 『大正祭礼委員会』を発足し、町会神輿を担 ぎ出しました。 "イキでイナセでカッコよく"大正の文字がはえる 紺色の半纏が『吉祥寺秋まつり』を皆様と共に 盛り上げます。
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井の頭通り商店会
井の頭通り商店会は武蔵野市の一番東に 位置する商店会で、昭和28年より地元で毎 年盛大な「祭り」を行ってきましたが、昭和63 年に地元の青年達が永年の夢だった神輿を作 り上げ「第17回吉祥寺秋まつり」から参加して います。 この井の頭神輿は、商店会が一丸となって「 ふるさとづくり」に意識の高揚と青少年の育成 吉祥寺南町地域の発展に寄与し、また商店 会会員の親睦と事業繁栄を祈念して製作さ れたものです。 今年は商店会の創立65周年を機に全面修 復し、皆様の前に披露させて頂いております。担ぎ方は「ドッコイ神輿」として、吉祥寺秋まつりの名物神輿として、がんばって担ぎたい と思います。
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稲荷町会
稲荷町会は現在、吉祥寺大通りを中心に ヨドバシカメラ店をはじめ金融機関等の企業が 多く立ち並ぶ町会です。 元禄のころ伏見稲荷より分神(ぶんじん)を許 された稲荷社をシンボル的存在として人々が 集まり、昭和10年稲荷町会として発足しまし た。 昭和27年に神輿、山車(だし)を購入し、子 供達を中心に町内を練り歩いていましたが、大 人も再び担ぎはじめ、第22回よりセレモニーに 参加しました。 担ぎ手には地元企業の人たちに大勢集まってもらい、親しみのある神輿になりました。
・稲荷町会 子供神輿
稲荷町会は、昭和10年に設立されました。発足の基礎となった稲荷社(いなりやしろ)を 中心とする交流の輪は、時代が変わった現在も引き継がれています。 この神輿は昭和27年に平和への願いと子供たちの幸せを願って、購入されました。当時は子供・大人両方の神輿として、最近は子供専用として多くの人に担がれてきまし た。神輿は町会創立60周年時に修繕された浅草宮元製(あさくさみやもとせい)で屋根延 神社型(やねえんじんじゃかた)白木造(しらきづく)りです。
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五日市通り親交会
五日市通り親交会 八枝神社神輿
昭和25年「平心講(へいしんこう)」の方々か ら例祭の運営、御神輿の管理を「五日市通り 親交会」に移管継承され、何とか飾り部品の 応急手当をして五日市街道の渡御を復活さ せました。 平成2年ようやく修復の機運高まり、歴代の 町会長初め、町会の皆様方のご協力のもと、 青年部の人々の熱意と努力によって多額の浄 財を蓄積して修復完成し、これを機に「吉祥寺 秋まつり」に参加、現在に至っています。
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吉祥寺公園通り商店会
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吉祥寺中道通り商店会
このお神輿は、設計から完成までの全てを商 店会の会員の手造りで半年以上を費やし、昭 和54年9月11日に完成した商店会自慢のお は武蔵野市指定無形民俗文化財に指定され 神輿です。 完成当時は、商店会が行う街づくりの見本と して、NHKを始め多くのマスコミに取り上げられ ました。 このお神輿は商店会員が一致団結して、こ の地域の皆様のご多幸と商店会の繁栄を祈 念して担がれます。
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むさしの囃子
「むさしのばやし」は、江戸時代後期の文久2 年、八幡宮の祭礼を賑やかにするため発祥し ました。昭和26年に保存会が発足、46年に は武蔵野市指定無形民俗文化財に指定され 現在に至っています。 吉祥寺秋まつりには毎年参加させていただい ております。「はやし」の音につられ、お神輿が少 しでも景気良く渡御されれば幸いです。 市内の多くの方々から保存後援会を通じご 支援をいただいており、今後も皆様に愛される 「むさしのばやし」になるよう勤めてまいりますので よろしくおねがいいたします。
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木遣(きや)り
御神輿の渡御(とぎょ)には、やはりこの木遣 (きや)りがつきものです。 揃いの半纏(はんてん)をまとい、扇子を片手 に木遣りを唄いながら、威勢の良い御神輿の 先導をつとめます。
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吉祥寺太鼓同好会
この江戸太鼓は、各地に伝承されているリズ ムを基に、江戸神田ばやしの風流を型取り、 構成した創作太鼓です。 曲名は江戸的なもので、「あばれのし打ち」 「祝太鼓」「うかれ太鼓」「勢い打ち」「祭り太鼓 」「ひびき」「乱れ打ち」、そして「吉祥太鼓」「み こし」の新曲も入れて名が付けられております。 この太鼓の創作者は 花柳(はなやぎ) 伊千 兵衛(いちべえ) さん。 そして太鼓を叩き演じますのは、「花柳伊千 兵衛と吉祥寺太鼓同好会」の皆さんです。
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手古舞
手古舞(てこまい)は、もともと江戸時代 の祭礼で、男装の女性が山車(だし)や神輿の 先駆けをして舞ったものです。 初めは氏子(うじこ)の娘さん方が扮していたも のですが、後には芸妓(げいこ)さんが務めるよう になりました。 その姿は、髪は男髷(おとこまげ)に結い、右肩 脱ぎの派手な襦袢(じゅばん)に伊勢袴(いせば かま)、手甲脚袢(てっこうきゃはん)に草履(ぞうり )がけ、花笠(はながさ)を背中に金棒を左につき 、右手に牡丹(ぼたん)の絵を書いた黒骨(くろぼ ね)の扇を持ち、煽(あお)ぎながら木遣(きや)り を唄って舞い歩き、毎年、吉祥寺秋まつりに粋な江戸情緒の花を添えて頂いております。 現在では地元商店街の娘さんや、お得意様にお願いして扮していただいております。 ご覧の皆様の中で、来年は是非一度この衣装でお祭りに花を添えてみたい、と言うお嬢 様がおいでになりましたら、担当のダイヤ街商店協同組合までお申し込みください。きっと 良い記念になる事と思います。
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順不同 |
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